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 卓球王国 編集後記 2010年spacereditor's note of World-TT
2010年 2009年 2008年

2010年7月号

■ ぼくには卓球がある

たかだか32年間の人生で、こんなにも波乱万丈な人生を送っている人をぼくは知らない。 仮にK君としておこう。彼は今、銀座のキャバレーで住み込みで働いている。アパートは借りていない。夜は店のソファーを並べてベッド代わりにして寝ている。この生活がもう7年間続いている。目的は金を貯めるためだ。 卓球留学をして卓球を探究し、ゆくゆくは卓球関連の会社を興したいと考えている。
K君は、小誌の創刊号からの読者で、何年かに一度電話をもらう。だが、これまでぼくは、彼からの電話の対応にずいぶんとぞんざいだった。というのも創刊号が出た時にもらった電話は、『東京で働きながら卓球をしたいのでどこかいいところを紹介してくれ』という、一方的な内容だったからだ。それから何度か受けた電話にも、多忙を極めたぼくは彼の要望を満たすことができず、その都度、そっけなく電話を切った。
K君は小社主催の卓球講習会「高島規郎セミナー」にも何度か参加した。決して上手とは言えないが熱心だった。
彼は高校を卒業後、東北から上京してフリーターをしながら大学の入学金を作った。家計は苦しく、親にはとても頼ることができなかったからだ。
ある日、彼を悲劇が襲う・・。
母から、「お前に会いたいんだけど」と再三、電話がかかってきた。アルバイトに忙殺されていた彼は、そんな母からの要望を無視していた。しばらくして、やっと半日だけ自由時間をとることができたので、実家に連絡をした。まもなく、弟も連れて親子3人で上京してきた。しかし、K君は「俺、忙しいから…」と早々に別れた。あとでこの事を彼は悔やんだ。
K君20歳・・。その夜の帰路。彼の両親は、幼い弟を道連れに一家心中を図ったのだ。新聞にも大きく報道された。
大工さんだった父は体を壊し、働けなくなっていた。貯金も底をつき「そううつ病」になっていた。悲報を聞いた時は「何て言っていいかわからない気持ちだった」と彼は振り返る。
先日、久々にK君から電話をもらって、たまたま時間に余裕があったぼくは、彼と一緒に卓球練習をすることになった。K君がいかに卓球が好きなのかがよくわかったし、相当、苦労して生活していることもわかったが、その日はあまり時間がなく、突っ込んだ話はできなかった。だがぼくは、何となく彼に惹かれ、いろいろと話がしたくなり、後日、電話で話をした時に、この家族の悲劇を聞いたのだ。その夜は眠ることができなかった。そして、彼が悲劇を乗り越え、絶望することなく生きてきたことに感心した。
「20年間に親からの愛情は一生分もらいました。ぼくには卓球があったおかげで、救われました。卓球って奥が深いですよね。人間力を磨いてくれます。精神的に強くて、やさしい人になりたいです。こうしてやっていけるのも卓球のおかげです」 と、K君は話してくれた。
『卓球』にはやはり偉大な力がある。人それぞれの『卓球』があるのだ。 〈発行人・高橋和幸〉


2010年5月号

■ 卓球で町おこし

「何とかならないものかね」
「何とかしたいものですよね」
ゴルフ場で交わしたこの会話が、数年後、現実のものとなる。
前者は下呂温泉観光協会会長伊東祐さん。後者は下呂市卓球協会会長片田賢一さん。
二人は「けんちゃん」「ゆうちゃん」と呼び合う仲だ。
ここ下呂温泉は日本三名泉と言われているが、平成2年に160万人あった観光客が、昨年は90万人にまで落ち込んでいる。これは、全国の他の温泉地にも言えることだ。
そんな親しい二人が考えたのが「卓球で下呂温泉を活性化しよう」だった。
「温泉プラスαの楽しみが必要」と考えていた野村誠市長ともスクラムを組んだ。「民と官が協力し合わなくては無理ですからね」。行政にも太いパイプを持つ片田さんならではの発想だった。それから二人は各地の卓球大会を視察した。 
そして、いよいよ自分たちで大会を開催しようとしたところ…手続き上の問題が発生してすぐに実現することができなかった。紆余曲折を経た一年後、ついに第一回目を2008年に開くことが出来た。参加者も初回200人、第二回目250人そして第三回目の今年420人と、確実に増えていった。しかし片田は言う。「参加人数を増やすことより、参加者が満足して帰ってくれるようにするのが目標ですね」。なるほど参加者にリピーターが多いのもうなずける。
前年の参加者がわざわざ片田さんにと、手土産を持参する。他では見られない光景だ。大会は大盛況だった。ゲストに今年の女子全日本ベスト4が出そろった。チャンピオンの王輝選手をはじめ、藤沼亜衣、平野早矢香、樋浦令子選手が参加したのである。ほかに、地元・岐阜の十六銀行の選手たちも盛り上げた。
運営にはたくさんのボランティアが携わった。冷たい雨の中、車を誘導するのは下呂市の職員。受け付けで笑顔の応対は、地元・益田信用組合の女性たち(伊東さんは理事長)。お土産売り場では、地元選出の代議士の母親までが売り子として働く。高校生は進行とコート整備に忙しく動く。そして特徴的なのはボランティアの誰もが笑顔で接してくれることだ。「ポッと喋ると誰もが、昼弁当だけの報酬で協力してくれる、そんな土地柄だからでしょうね」。 
片田さんは大会二日目の朝一番でみんなに謝ろうと思ったという。慣れない大会運営などで急な変更があり、ボランティアが深夜まで作業をしたことを知っていたからだ。
片田さんは4歳の時、母親を助けようと製材機のベルトに挟まれた。不自由な右手を左手でさすりながら「ひとりでは何にもできません。みんなが助けてくれるからこうしてやっていけるのでしょうね……」。
そう言うと、会場のほうに目をやった。片田さんの額に汗が光っていた。 〈発行人・高橋和幸〉


2010年3月号

■ ファインダー越しに見えるドラマ

今年も新しい年が始まった。
大晦日の除夜の鐘を聞きながら、昨年の印象的な試合を頭に浮かべてみた。
9月のデフリンピック台北大会での上田萌対黄夢萍戦、11月のアジア選手権での水谷隼対許戦。
ともに一本に泣く結果となった。特に水谷は10・7とマッチポイントを握ってからの逆転負けだった。勝負はドラスティックだ。引き分けがないので必然的な悲喜劇を生む。
インドのラクナウで味わった屈辱を水谷は決して忘れないだろう。帰国した次の日、水谷を食事に誘った。試合直後はとても感想など聞けない雰囲気だったのだ。会場からホテルまでのバスも一緒だった。土っぽい窓外の風景のどこを見るともなく眺めながら、何を思ったのか。
「選手の本音」を聞き出すという作業は決してたやすいことではない。ましてや普段接する機会が多い選手となれば、個人的な内面をえぐるという行為に対する抵抗感がある。しかし 、その日の水谷は饒舌だった。岸川聖也選手が同席していたということもあったのだろう、決して試合会場では見せない人なつっこい笑顔で「本当に悔しかったですねー」と話しはじめた。そして自らそのゲームを振り返り、ポイントごとの解説と感想を話してくれた(小誌先月号p.22参照)。
「最後は相手のミス待ちになってしまいました」。敗因は弱気になったこと。常にクールな印象がある水谷の人間としての弱さみたいなものを垣間見たような気がした。
台北でシングルス決勝での敗戦直後にテレビカメラに向かって答える上田の姿を見て、昨夏の神戸インターハイで見た酒井春香選手が頭をよぎった。負けても感情を表に出すことなく、周囲に気を遣う姿が重なったのだ。この若者たちは技術だけではなく、精神的な人間としての素養もしっかりと身につけているのだということが、そばで見ていて感得できた。
アスリートには必ず現役を退く時が訪れる。その時、選手時代と同様の立場(ストイックな姿勢、社会的な立場など)をどれくらいの選手が確保できるのだろう。社会でスポーツ選手に一目を置くのは、その激しいトレーニングから生み出された精神的な忍耐力、人間的に確立された態度にあるように感じる。
かつて6人のボクシング世界チャンピオンを育てたトレーナーのエディ・タウンゼント氏は「ボクシングをする時間は短いです。終わった人生がもっと長い。だからぼくは(選手を)きれいな体でお母さんに返してあげるの」と、どの選手に対しても、引退後の人生の大切さを強調していた。
スポーツは「感動とドラマ性」に尽きると思う。常にコートサイドで選手たちの活躍ぶりを目の当たりにしているぼくにとって、彼らの腕から放たれるボールに自分自身、一喜一憂する。
ファインダー越しに、アスリートたちは何を学び、何を感じるのかを今年もじっくりと見てみたい。 〈発行人・高橋和幸 〉


2010年1月号

■ 試合会場に観客を

「お客さんが少ないですねー」。
先月、千葉県旭市で行われた全日本選手権団体の部の最終日、会場の観客席を眺めながら、ある有名選手はつぶやいた。
来年、同地で開催される国体のプレ大会と位置づけされた大会。大会関係者は忙しそうに業務をこなしていたが、あくまでも来年に向けての予行演習といった感じは否めない。顔見知りの関係者に会っても、「来年はコレ(観客が少ないこと)で大丈夫だろうか」と不安顔。あくまでも視線は来年の国体に向いているようだ。しかし、今行われている試合は全日本選手権なのだ。チームの日本一を決める重要な大会。その位置づけが確認されていないような気がする。選手たちは、必死に自分たちのパフォーマンスをアピールしている。あるチームにおいては、その存続さえも取りざたされている状況だ。選手たちは真剣そのものだった。
一方、大会関係者もそれぞれの業務を必死にこなしていた。ただ、今現在の大会に全精力を投入すべきではないかと、つい感じてしまう。試合数をこなすのではなく「試合を見せる」ことの大切さが忘れられているような気がするのは私だけではないはずだ。 大勢の観客の前で、全日本のチャンピオンになる最高のステージを用意する義務が、主催者ならびに日本卓球協会にはあるような気がする。翌日、試合結果さえ掲載されていなかった新聞もあった。 以前にも記したが、ニューヨークのブロードフェイのミュージカルは「観客に育てられる」と言われる。下手だと貶され、上手いと褒められる。それが世界一流の芸を生む。
その後、東京体育館で行われた「ITTFカデットチャレンジ&ジュニアサーキットファイナル」や、神奈川県川崎市での「日本リーグ・ホームマッチ」でも、観客数は少なかった。そこでも選手のつぶやきが聞こえた。「やはり、たくさんお客さんが見てたら、張り切っちゃうんですけどね」 。本音だろう。
主催者側の言い分は、「みなさん忙しい中、一生懸命やっていただいているのですからきついことは言えません。そのうえ、ボランティアで頑張っているのですから……」。確かにその通りだろう。でもこの構図が何十年と続いてきた。他の競技を見ても観客動員の数を重要視している。それはオリンピックに見られるように、スポーツがプロ化され、観客動員数の多少がスポンサー企業の費用対効果に影響するからだ。
そのこととは別にしても「空席が当たり前」はもうよしにして、選手に応えるべく、見せる卓球を提供すべき時。たとえば協会で専門委員会を設置して、観客動員の作戦を立ててはどうだろう。どうしたら会場に足を運んでもらえるか、リピーターが増やせるかなど、リサーチが必要だし、専門的な知識も不可欠だ。
男子の若手に実力者がそろいはじめ、世界を狙えるところまでやって来た。今、彼らを後押しするのはやはり「見る観客」だ。今こそ真剣に卓球会場に観客を呼ぶことが大切なのではないだろうか。 〈発行人・高橋和幸 〉
 
   
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